2012年11月23日

お由羅騒動により 沖永良部島に遠島になり塾を開いた5人

お由羅騒動により 沖永良部島に遠島になり塾を開いた5人

斉彬が江戸に40歳ごろまでいたため江戸代官詰所の方々を中心に約50名が被害にあい、切腹や遠島の処分が下った。

 沖永良部島に遠島になった5人は塾を開き 沖永良部島の教育に貢献している。

紀平右衛門 (和) 江戸代官詰役 5人とも斉彬の藩主時代に赦免されているが島に残ったそうです。

曾木藤太郎(内城) 内城で没、子孫は根折に移住。

染川四郎左衛門 (瀬利覚) 医者の家系

平瀬市助(余多)  柔術の師範

小田善兵衛(上城)和泊でも塾を開いたそうです。

5人以外に島で塾を開いた著名な遠島人

川口雪逢(西原) 西郷隆盛の漢詩の師匠、のちに秘書として西郷隆盛の家族の面倒を見る。

新納平太夫(田皆)

児玉万兵衛(喜美留)

竹之内助市(皆川)

平富里(皆川)

萩原籐七(畦不)

 沖永良部島は当時薩摩藩の政治犯が多く遠島になり、生活のために塾を開いた人が多かったそうです。

1772年 人口11407人 遠島人79人

1845年 10636人    124人

1869年 14337人    46人  (明治2年)


同じカテゴリー(沖永良部島の歴史)の記事
沖永良部島の神社
沖永良部島の神社(2016-11-17 20:40)

今年は世の主没600年
今年は世の主没600年(2016-02-07 12:43)

Posted by ウミガメ44 at 07:37│Comments(0)沖永良部島の歴史
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。